明暦元年(1655)〜
日本画狩野派の名匠・久隅守景の指導によったといわれるもので、九谷焼で最も早く焼かれた古九谷の様式。太くて力強い線を持ち、緑・黄・赤・紫・紺青の五彩を用いて花鳥、山水、風物を自由かつ斬新な構図で描いている。その卓越した表現力は他に比べるものがなく、深い味わいを持つ。
文化3年 (1806)〜
古九谷が廃窯され、約80年後、加賀藩営で九谷焼再興のため招かれ春日山窯を興した京焼の名工、青木木米による様式。中国・朝鮮の写しを中心に、独自の創意が加えられている。全面に赤をほどこし五彩を用いて人物などを描き、気品の高い趣や風流を尊ぶものが多い。
文政6年(1823)〜
古九谷窯の再興を目的に開かれた吉田屋窯の様式。古九谷青手の「塗埋手」を踏襲し、赤を使わず、緑・黄・紫・紺青の4彩を用い、模様の他に小紋を地紋様風にして、器物全面を絵具で塗り埋めた重厚さのある作風で独特の雰囲気をかもし出している。一見青く見えるので、「青九谷」とも呼ばれる。
天保6年(1835)〜
飯田八郎右衛門が完成させた赤絵細描の様式。赤の上絵具を駆使して、繊細な絵付けを施すのが特徴で、綿密に人物を描き、そのまわりを小紋等で全体をうめつくし、所々に金彩を加えてある。
一見して筆舌に尽くしがたいほどの赤絵細密描画である。
天宝12年(1845)〜
九谷庄三が創案した、伝統的な五彩以外に、中間色を加え、細描密画で仕上げたうえに、さらに金彩を施す「彩色金欄手」と呼ばれる方式。古九谷・吉田屋・赤絵・金欄手のすべての技法が結集し、豪華な世界を見せる。明治以後の産業九谷の主流となった作風である。
慶応元年(1865)〜
京都陶芸の名門永楽和全により広められた「金欄手」と呼ばれる様式。全面を赤絵で下塗りし、その上に金のみで文様が描かれている。豪華な作風と共に、気品の高さに溢れ洗練された美しさが魅力である。